Netflix映画『レベッカ』と原作の違いと考察を徹底解説!

Netflixで配信がスタートした映画『レベッカ』。イギリス人作家ダフネ・デュ・モーリアの心理サスペンス小説『レベッカ』を原作とした作品ですが、1940年にヒッチコックが映画化したことでも有名です。

そこで今回は、Netflixの映画『レベッカ』と原作との違いや、感想・考察などについてご紹介します!

なお、本記事はネタバレも含まれていますので、まだ作品を観ていない方はご注意ください。

『レベッカ』ってどんな映画?

映画『レベッカ』は、「またマンダレーへ行く夢を見た」という有名な一節から始まります。

『レベッカ』の1番の特徴は、いくつものジャンルが重なり合って1つのストーリーになっているところです。サイコスリラー、ドラマ、ロマンスなど、作品のシーンによって移り変わるジャンルに、自然とストーリーの中に引き込まれていきます。また、ゴシック・ロマンス作品とも呼ばれることも。ゴシック・ロマンとは、イギリスの18世紀末から19世紀はじめにかけて流行った神秘的で幻想的な小説のことです。

『レベッカ』の原作者ダフネ・デュ・モーリアは、20世紀を代表する作家として知られており、ヒッチコックの名作映画『鳥』の原作者でもあります。

小説『レベッカ』は、これまで何度も映画化されており、1940年にはヒッチコックが監督した映画『レベッカ』が公開され話題に。ヒッチコックがアメリカで活動を開始して初めての作品でもあり、第13回アカデミー賞にてアカデミー賞最優秀作品賞を受賞しています。

今回Netflixにて独占公開された映画『レベッカ』は、『シンデレラ』のリリー・ジェームズ、『君の名前で僕を読んで』のアーミー・ハマーが共演する心理サスペンス映画。『ハイ・ライズ』などを手がけたベン・ウィントリーが監督を務めています。

<基本情報>
公開年:2020年
上映時間:123分
製作国:イギリス
監督:ベン・ウィートリー
キャスト:リリー・ジェームズ、アーミー・ハマー、クリスティン・スコット・トーマス、キーリー・ホーズ 他

【ネタバレなし】『レベッカ』あらすじ

『レベッカ』予告編 – Netflix
『レベッカ』予告編|Netflix Japan

妻を亡くした富豪(アーミー・ハマー)と運命的に出会い、恋に落ちた若い女性(リリー・ジェイムズ)。結婚を決めた女性は、新妻として彼の大邸宅マンダレーに移り住みます。しかし、美しく優雅だった彼の亡くなった妻レベッカの陰に、女性は次第に追い詰められていきます。

【ネタバレあり】映画『レベッカ』と原作との違いは?

ベン・ウィートリー監督が手がけた映画『レベッカ』ですが、評判はイマイチな印象。イマイチというよりは「そもそも彼が監督したのが間違い」というビターな批評も。レビューの多くは、ヒッチコック監督作品と比べたコメントでしたが、ベン・ウィートリー監督は「恐れるのは、ヒッチコック作品ではなくて原作。」と語っています。

とうことで、Netflix『レベッカ』を原作と比べながらの考察をまとめてみました。

なお、ネタバレが含まれますので、まだ作品を観ていない方はご注意くださいね。

モンテカルロでのデート

互いに惹かれ合う「わたし」とマキシムは、モンテカルロでデートを重ねます。植物園に行ったり泳ぎに行ったりと、映画では、2人のデートの様子が原作と比べてより詳細に描写されています。

また、マキシムが運転する車が道から外れて危うく事故に遭いそうになるシーンは、原作にはありません。映画では、マキシムの無謀さがより強調されているようです。原作では、崖の端っこに立っているマキシムが描写されています。

詩集に対するマキシムのリアクション

「わたし」は車のダッシュボードから、マキシムの亡き妻レベッカが彼に贈ったと思われる詩集を見つけます。裏表紙に書かれたレベッカの自筆を見つめる「わたし」に、マキシムは憤慨した様子で詩集をもとに戻すように言います。

詩集を見つけるところまでは原作と同じなのですが、原作では、マキシムは詩集に対して気にした様子もなく、持って帰って読むように「わたし」に提案します。

実は、この詩集に影響されるのは「わたし」の方で、彼女はレベッカの自筆を何度も見ては自分のものと比べるのでした。

「わたし」とマキシムの親密な関係

映画では、「わたし」とマキシムがビーチで肉体的に愛し合うシーンが。

原作にはこのような描写は一切なく、映画での2人の方がより親密に表現されているのがわかります。デートについての詳しい描写なども考えると、ロマンス的な要素をもう少しわかりやすく強調したかったのかな?という印象です。

夢遊病のマキシム

ド・ウィンター夫人としてマンダレー邸へ移り住んだ「わたし」。初めての夜「わたし」は、レベッカとマキシムが使っていた西棟に、夢中歩行して入っていくマキシムを見ます。彼の肩に触れようとする「わたし」の背後からスッと現れるダンヴァース夫人が、とても不気味なシーンですよね。

これは、完全に映画のオリジナルで、原作にはマキシムが夢中歩行する場面はありません

ボートハウスの男

ボートハウスで「わたし」は、管理人の息子のベンと出会います。2人はここで会話をしますが、その後は何度かバックグラウンドで登場するベンの姿のみ。「わたし」がベンと話すことはありません。

原作では、「わたし」はベンと何度か話しをします。レベッカについて何か知っている様子のベンの言葉を、「わたし」は何とかつなぎ合わせ、レベッカについての真相を突きとめようとします

マキシムの妹夫婦と祖母

原作では、マキシムの妹ビアトリスと夫は、「わたし」がマンダレー邸に到着した翌日に訪問。その後、ビアトリスと「わたし」は一緒に出かけるなどして、親しくなります。ある時、ビアトリスが「わたし」をマキシムの祖母の家に招待しますが、祖母がレベッカがどこにいるのかと騒ぎ出してしまいます。

映画では、マキシムの妹夫婦は祖母と共にマンダレー邸を訪問しています。「わたし」をド・ウィンター夫人として祖母に紹介すると、「いいえ、違うわ」と言いだし気まずい雰囲気に。

レベッカの従兄弟ジャック・ファヴェル

レベッカの従兄弟のジャック・ファヴェルが、マキシムの留守中にマンダレー邸を訪問するシーン。馬に乗れない「わたし」は、彼から乗り方を教わるのですが、あとで嫉妬したマキシムに激怒されてしまいます。

原作では、マンダレー邸に突然現れたファヴェルに対して、「わたし」は違和感を感じて彼をすぐに追い出しています。

映画と比べて原作では、ファヴァルはより脅迫的な性格で描写されています。

ダンヴァース夫人への解雇宣告

マキシムが嫌うファヴェルを招待したのがダンヴァース夫人だと知った「わたし」は、ダンヴァース夫人を解雇しようとします。

彼女のせいでマキシムと仲違いすることになったのですから、当然のことのようですが、原作では「わたし」はダンヴァース夫人を解雇しようとはしていません

仮装舞踏会のドレス

原作では、仮装舞踏会で「わたし」が着るドレスは白ですが、映画は、深紅のベルベット素材のドレスチョイス。白と比べて赤の方が、視覚的に人を引きつける効果を感じます。赤を選んだ理由について、衣装を手がけたジュリアン・デイは「赤は嫉妬を象徴する色。」とコメント。

さらに、原作でこのドレスを直接「わたし」に勧めたのは、若いメイドではなくダンヴァース自身だったのも映画とは違うところです。

映画では、マキシムの妹ベラトリスに励まされた「わたし」は、また舞踏会に顔を見せます。原作では、「わたし」にそのような勇気はなく、マキシムが彼女の元に来るのを待つのですが、彼は現れませんでした。

レベッカについての真実

レベッカに死について、マキシムが「わたし」に告白するシーン。これは、映画も原作も内容はよく似ています。

小さな違いとして、原作では場所が家だったのに対して、映画ではボートハウスでした。また、映画のマキシムは、レベッカが「マックス、やりなさい」と自分を殺すように挑発したと語っていますが、原作では単に怒りからレベッカを殺したと告白しています。

マキシムが銃を「わたし」に渡すシーンでは、あと少しで撃ってしまうかのように描写された映画と違い、原作の「わたし」はすぐに銃をマキシムから離し、彼への愛を伝えています。

マキシムの審問会

レベッカの遺体が発見され、妻殺害の嫌疑をかけられたマキシム。映画では、彼の証言について積極的にアドバイスする「わたし」の姿が。以前とは別人のように強く自信に満ちている印象です。また、ダンヴァース夫人が証言したり、ファヴァルが「わたし」とマキシムを脅迫したりする場面も。これは全て原作にはなく、「わたし」はもう少し控えめで審問にも関わっていません

また、ロンドンの医者のオフィスに「わたし」が忍び込むシーンなども原作にはありません。実際は、マキシムや友人のフランクなど皆でロンドンの医者のもとに向かい真相を知ります。

ダンヴァース夫人の行く末

マンダレー邸に火をつけ、最後は崖から飛び降りるダンヴァース夫人。本作品では、ダンヴァース夫人がレベッカの部屋に火をつける様子が描写されており、マンダレー邸の放火犯は彼女だということが明らかです。

原作では、マンダレー邸が火に覆われているところで物語が終わります。ダンヴァース夫人が火をつけたという描写もなければ、彼女がその後どうなったのかについての情報もありません

エンディング

映画『レベッカ』と原作の大きな違いは、エンディングです。

原作は、火に覆われたマンダレー邸のシーンで終わりますが、映画では、ド・ウィンター夫婦がカイロのホテルに滞在しているシーンでエンディングとなります。実はこのシーンは、原作の冒頭の描写につながっているんです。

原作のはじめに、語り手「わたし」が「ホテルからホテルへと移り渡っている」と語っており、そこに映画のエンディングが着地した感じです。映画での語り手「わたし」はそのことについては触れていませんでした。

ヒッチコック監督作品との違いは?

ヒッチコック監督の『レベッカ」も2020年版と同様、原作にかなり忠実に映画化されているのが特徴です。

ただ残念なのは、ハリウッドのヘイズ・コード(アメリカの映画界で導入されていた自主規制条項)により、ヒッチコック監督の作品がかなり制限されてしまったこと。

ヒッチコック監督の『レベッカ』は、2020年版や原作と違い、レベッカが自殺したことになっています。当初ヒッチコック監督は、原作どおりマキシムがレベッカを殺したことにするつもりでした。しかし、殺人を犯したマキシムが罪に問われないのは不道徳であり、ヘイズ・コードに反すると指摘され、レベッカが自殺したという設定となってしまいました

映画『レベッカ』|私なりの考察

映画の予告映像だけをみると、マンダレー邸に亡き妻の魂が宿っていて、心霊現象的なものに主人公が苦しむのかな?という印象でしたが、違いました。

主人公「わたし」は、「マキシムが今でも彼女を愛しているのでは?」「夫は自分を愛していないではないか?」「結婚を後悔しているのだろう」という「妄想」に苦しみ、亡き妻レベッカの存在に取り憑かれていきます

映画も原作も、主人公の若い女性は名前も与えられおらず「わたし」と呼ばれています。身分が低く、財産もなく、内気で繊細な主人公が、美しく魅惑的だった亡き妻レベッカの影に隠れる存在であったことが強調されているようです。「わたし」とは対照的に、作品の最初から最後まで死んでいるはずのレベッカの存在感といったらハンパありませんよね。タイトルにもなるくらいですから…。

妄想に苦しんでいるのは「わたし」だけではありません。夫マキシムの中にも「秘密がバレるのではないか」という「妄想」が常に宿ります。「わたし」の苦悩に気づかず、彼女を冷たく突き放すマキシムが「冷酷」「人間が小さい」と感じる人も多いようですが、彼自身も亡き妻レベッカの影に取り憑かれていた1人だったように思います

「わたし」の「妄想」による嫉妬心や執着心が少しずつ彼女の心の中に広がっていく様子が、まさにこの作品のサイコスリラー的要素の中心となっています。

また、「わたし」の「妄想」がマキシムをさらに苦しめ、彼の中に広がる心の闇が「わたし」の「妄想」をさらに悪化させていく…、といった悪循環がどうにもならない状況ですよね。

さらに、ダンヴァース夫人のレベッカに対する異常なまでの愛情と執着が「わたし」に追い打ちをかけます。

実は、「ダンヴァース夫人は同性愛者で、レベッカを愛していたのではないか」という考察もあるようです。真相はわかりませんが、小説より映画の方が「同性愛者説」の要素を強くアピールした描写となっているということでも話題に。

確かに、ダンヴァース夫人がレベッカの部屋で「わたし」に語るシーンや、レベッカのと似ている黒いレースの下着をダンヴァース夫人が着ているシーンなどから、使用人と主人の関係以上のものを感じます。

映画は、「わたし」とマキシムがカイロのホテルに滞在している場面でエンディングとなります。ハッピーエンドともとれますが、本当に?

(理由はともあれ)妻を殺した男の妻として、また殺人を犯した男が無罪になるよう助けた偽善者として生きていかなければならないという呪縛が、これから彼女を苦しめるのでは?という考えが「わたし」の表情からなんとなく過ぎりました。

ダンヴァース夫人が最後に言った「彼のそばにいても絶対に幸せにはなれない」という言葉から、「わたし」は完全に立ち直れるのでしょうか?

いろんな意味で深く考えさせられる映画でした。

まとめ

Netflixで独占配信された映画『レベッカ』についてご紹介しました。

映画だけでも楽しめますが、原作と比べて考察すると、作品の良さをより深く楽しめますよ。

ご興味のある方は、ぜひ原作も手に取ってみてはいかがでしょうか。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。